CSR

- CSR活動・社会貢献 -

人・地域・地球環境の未来のために、

世界中の生産地との共存共栄のために、

私たちは社会の持続的発展に貢献して参ります。

船昌商事はスクラム・ジャパン・プログラムを応援しています。

船昌商事は日本ラグビーフットボール協会が推進する『スクラム・ジャパン・プログラム』を応援しています。
『スクラム・ジャパン・プログラム』とは、日本の将来を担う子供たちのために日本ラグビーフットボール協会が、ラグビーを通じた人間教育とその支援活動を推進しているプロジェクトです。

共に歩む未来

船昌商事は、1974年の創業以来、フィリピン産バナナと共に歩んできました。バナナの産地であるミンダナオ島ダバオ市と縁が深くなるにつれ、ダバオと日本が深い繋がりがあることを知りました。

戦前、日本からミンダナオ島に渡った多くの人々が、戦後、さまざまな理由からフィリピンに在住せざるを得なかった日本人およびその子孫たち。 彼らフィリピン残留日本人、特に日系2世たちは、戦後の反日感情の強いフィリピンで、日本人であることを隠し、日本名をフィリピン名に変え、かろうじて生き延びました。 教育を受ける機会に恵まれず、そのため多くの日系人家族はフィリピンの貧困層に属していました。

そのような中、1985年NPO法人日本フィリピンボランティア協会(JPVA)が活動を開始し、7年後の1992年、企業経営者を中心にJPVAから独立し、13社で日本フィリピン企業協議会(JPIC)として活動を開始しました。
そのうちの1つが船昌商事です。

フィリピン残留孤児帰国歓迎会の様子(1995年)

JPICは、現在もフィリピン日系人を雇用している企業の集まりでありますが、その始まりは日系2世の身元確認や国籍確認、3世、4世の定住ビザ取得と、彼らの日系人としてのアイデンティティを証明し続ける活動をしてきました。 そしてその努力が実を結び、1995年に初めてフィリピン残留日本人(日系2世)が、戸籍登載が認められました。 その後も身元が判明した日系3世(4世)の多くが定住ビザで来日でき、JPICの会員のもとで、正規労働者として、日本経済を今も支えてくれています。

当社の代表である関野は、1998~2004年までJPICの会長を務め、他の会員と同様、日系人の身元確認に奔走し、祖国の土を踏めるよう努力してきました。

PNLSC会議の様子(2002年)

会長を務めるさなか、企業での支援に限界を感じた2000年頃、中国残留孤児の国籍取得で実績を持つ河合弁護士に対し、フィリピン残留日本人問題も解決してもらえるようJPICとして重ねて懇願し、遂に2003年NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)の活動がはじまりました。

船昌商事は、PNLSC創設時からフィリピン日系人問題を共に考え、日本でのフィリピン日系人の生活サポートをしてきました。 そしてフィリピンではまだ身元の判明しない残留2世が800名近くいるので、PNLSCを通してその活動に貢献していきます。

現在、フィリピン国内の各地域の日系人会は、自主的・持続的に運営を目指しています。 その中で、東京吉祥寺ライオンズクラブの支援のもと、現地の人たちと共にフィリピン・ダバオで野球大会を開催(第1回大会・2006年~現在)しています。 JPVAの理事と共に船昌商事は青少年育成およびスポーツ振興のために野球道具を届ける活動を支援しています。